Q 高学年の担任をしたことがないのでしてみたいです。ですが、不安もあります。何か高学年を担任する上で、気を付けることがあれば、S先生の考え教えてください。
私も高学年を何度か担任したことがありますが、難しいと感じた経験があります。
どちらかというと上手くいった経験より失敗が多いです。
しかし、せっかくこのような質問をいただいたので、私なりの考えを書いてみたいたいと思います。
高学年の指導で大切にしたいこと
1 □□□を演出する
2 □□であろうとしない
3 □□□□ない
1 公平性を演出する
どの子どもたちも公平に接することが大切だということは教師なら分かっていることです。
そして、公平になるように留意して日々子どもたちと関わっておられることと思います。
しかし、教師側からすれば公平にいくら接していても、子どもからの立場からすると公平に見えないことがあります。
例えば、きまりを守らなくて最初に指導する時と、以前指導したのにまたきまりを守らない時とでは指導が変化してきます。
なので、いつもきまりを守らない子に対する指導と、珍しくきまりを守らなかった子に対する指導は違ってくると思います。
教師にとっては、きまりを守らなかった背景や頻度によって公平に指導を変化させているだけにも関わらず、子供にはそれが差別や贔屓に見えることがある訳です。
「なんで俺だけ?」
「前と言っていることが違う」
「なんで、あの子には厳しくしないの?」
特に高学年になると、教師の指導の温度差に対して敏感になります。
そう感じると、子どもは不信を募らせます。
こうなると、段々と授業や学級経営がしにくくなっていきます。
教師としては公平に指導しているつもりが、子どもにとっては公平に見えないことがあります。
「先生はどうしてこんなに厳しく言っていると思う?」
「なんで、こんな話をすることになったのか、分かりますか?」
「先生が言いたいことは伝わりましたか? 納得できましたか?」
指導するだけして、子どもの心に不満だけが残るとその後の関係性の維持が難しくなります。
だから、なぜこんな指導をしてるのかという趣意説明や指導のケアが、高学年の場合はより必要になっていくと考えています。
2 完璧であろうとしない
高学年になると知識・技術・精神性など、いくつかの点において教師を超える子どもが出てきます。
つい教師は、なんでも子どもよりできないといけない、詳しくないといけない、子どもに下に見られてはいけないと思ってしまいがちな部分があります。
私もそうです。
だけど、そんな風に思って頑張るほど苦しくなる。
そんな感情で子どもに接していると子どもの可能性や個性を教師の器が狭いせいで伸ばすことができなくなります。
「人には得意・不得意があります。人より優れているからと言って、自慢したり見下したりしてはいけないよ。自分の良さを人のために使える人は素敵だと思います。先生も完璧じゃないから、みんなで助け合えたらありがたいと思います」
欠けている部分を補い合える環境をつくることが、完璧であろうとせずに過ごせる土台になるのでは考えています。
3 押し付けない
「挨拶をしなさい」
「発表しなきゃダメ」
「掃除は黙ってやる」
そういう言い方についなってしまいます。
しかし。そういった押し付けた言い方や決めつけた指導は子どもたちはには入りにくいです。
単にやることだけを語るのではなく、それをやるメリットと合わせて「押し付け・決めつけ」でなく「提案」という形で子どもに伝えることが良いのではないかと思っています。
「挨拶をするとね、人から信頼をされるようになるんだよ。信頼させると成功のチャンスが増えるの。だからみんなも挨拶をしてみませんか? もしよかったらやってみて下さい」
おわりに
他にも大切なことはあるかもしれませんが、3つにまとめてみました。
もちろん1~3の内容はもちろん低学年・中学年でも大事なことです。
しかし、高学年はいろいろな大人と接してきた経験があるため、教師を見定める目が育っています。
ですから、この辺りをより意識しておかないと、良かれと思って教師がしていることが、逆に裏目に出ることがあると思います。
高学年の指導の参考になれば幸いです。